大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松高等裁判所 昭和61年(ネ)158号 判決

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

二  控訴人は被控訴人に対し、金一〇万円及びこれに対する昭和五九年一〇月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被控訴人のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は第一、二審を通じこれを五分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  控訴の趣旨

(一)  原判決中、控訴人の敗訴部分を取り消す。

(二)  被控訴人の請求を棄却する。

(三)  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

2  控訴の趣旨に対する答弁

(一)  本件控訴を棄却する。

(二)  控訴費用は控訴人の負担とする。

二  当事者の主張

次に当審主張を付加するほかは、原判決事実摘示中、当審の審判対象でない入浴・調髪・顔剃り・爪切りの各制限、保護房・特房の設備上の瑕疵に関する主張・答弁部分を除くその余の部分と同じ(ただし、原判決三枚目裏六・七行目の「毎日一回三〇分以上」を「毎日一回三〇分以内」に改める。)であるから、これを引用する。

1  控訴人の主張

(一)  戸外運動について

(1) 法(監獄法のこと、以下同じ。)三八条は「在監者ニハ其健康ヲ保ツニ必要ナル運動ヲ為サシム」と規定しているが、右にいう「健康ヲ保ツニ必要ナル運動」とは戸外運動に限定されるものではなく、規則(監獄法施行規則のこと、以下同じ。)一〇六条一項の「在監者ニハ雨天ノ外毎日三十分以内戸外ニ於テ運動ヲ為サシム可シ」との規定も戸外運動を例として運動の一応の基準を示したものにすぎず、戸外運動を在監者の権利として保障したものではない。したがって、戸外運動を禁止しても直ちに法三八条に違反するものではない。刑務所長としては、法三八条の趣旨にかんがみ、適宜必要な運動の機会を付与すれば足りる。

(2) 監獄内の規律及び秩序の維持のために必要な措置については監獄の長の裁量的判断にまつべきで、その判断に合理性が認められる限り右措置は適法として是認すべきであり、右裁量権の行使が社会観念上著しく妥当を欠き裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であるとすべきである。

したがって、原判決が戸外運動の停止限度を二週間程度とする基準を設定し、刑務所長の措置が二か月間右基準に合致しないことをもって特段の事情がない限り違法であるとするのは、違法審査につき、裁判所が刑務所長と同じ立場でその当否・軽重を判断する、いわゆる判断代置方式を取るものであり許されない。

(3) 被控訴人が徳島刑務所に移監後二か月を経過しても戸外運動を実施することができなかったのは、被控訴人が保護房拘禁中か軽屏禁罰執行中であったことによるほか、当時徳島刑務所の運動場は仮設的な運動場であり被控訴人が戸外運動時に凶器となる石片等を入手したうえ職員や他の収容者に対し突発的な暴行の挙に出る危険性もあったことによる。

また、被控訴人のアジ演説の内容は、二か月経過後も依然として職員に対する反抗の手段として指示の無視という具体的な教唆内容を含み、しかも大声で呼び掛けるものであって、他の受刑者の反抗を誘発する具体性を有している。大声を発し続けること自体が刑務所内の規律秩序を乱すことになるが、その内容も受刑者の規律遵守を軽視する気風を醸成するもので、規律秩序を崩壊させる危険性は極めて高く、容認できるものではない。

(4) 被控訴人が昭和五三年六月二九日以降に実施された戸外運動の際に規律違反行為をしなかったのは、刑務所長が戒護職員を増員し、他の受刑者との運動時間を別異にするなど保安・戒護上の配慮をした結果である。

(二)  独居拘禁の継続について

(1) 受刑者の拘禁形態は独居拘禁が原則である。

法一五条は「在監者ハ心身ノ状況ニ因リ不適当ト認ムルモノヲ除ク外之ヲ独居拘禁ニ付スルコトヲ得」と規定しているが、これは心身の状況によって不適当と認められない限りすべて独居拘禁にしてよいという趣旨であり、拘禁方法につき独居拘禁を原則としている。そして規則は独居拘禁に付すべき場合として具体的に、新たに入監した者(同二一条一項)、戒護のため隔離の必要がある者(同四七条)、懲罰事犯につき取調中の者(同一五八条)、刑期終了により釈放されるべき者(同一六七条)、余罪又は刑期限内の犯罪により審問中の者(同二五条一項一号)、刑期二月未満の者(同二号)、分類調査のため必要と認められる者(同三号)を掲げるほか、その余の者にあっても独居房に残余あるときは独居拘禁に付し得るものとしている(同二五条二項)が、これは独居拘禁の原則を前提として定めているものである。もっとも、行刑累進処遇令によると、第四級及び第三級の受刑者は処遇上必要ある場合を除いて雑居拘禁に、第二級以上の受刑者は処遇上必要ある場合を除いて昼間雑居拘禁・夜間独居拘禁に付する旨定め、大幅な雑居拘禁制度が採用されているが、これは各種被収容者のうち懲役受刑者の一部に限って適用されるもので、原則的拘禁形式である独居拘禁の例外として雑居拘禁の方法による旨を処遇上の指針ないし基準として示したにすぎず、独居拘禁の原則を変更して雑居拘禁制度を一般的に採用したものではない。

(2) 行刑施設における受刑者の拘禁は受刑者の改善更生を図ることを主たる目的とし、そのために種々の矯正処遇を実施しているが、右目的を達成し矯正処遇の実効を挙げるには施設の規律及び秩序が厳正に維持され、施設及び在監者の安全が確保されることが必要である。

したがって、処遇上問題のある在監者についてはその危険性が消失するまで昼夜間独居拘禁に付して経過観察する必要があり、例えば規律違反を反復し好争的態度や扇動的傾向が強い在監者については、他の者の反感によって暴力行為を受けたりしないように、また、その者の影響で施設に対し攻撃的言動に及ぶ者が続出し施設の規律及び秩序が乱れたりしないようにするため、危険を回避するうえで昼夜間独居拘禁が必要不可欠である。

(3) 昼夜間独居拘禁が不自然な生活を強いるもので、その継続それ自体が苛酷であるとするのは誤りである。

昼夜間独居拘禁者は、昼間雑居・夜間独居拘禁者と対比すると、集団行事への参加が制約される点で若干異なる処遇内容となるが、拘禁形態の選択は施設の規律及び秩序維持並びに当該受刑者の保護等を目的とする合理的理由に基づいてなされているものであるから、その程度の処遇の差は拘禁というより大きな不利益に吸収され、当然受忍すべき性質のものである。

(4) 長期間又は反復された保護房拘禁によって被拘禁者が閉塞感、被抑圧感、隔絶感、疎外感を覚えるとしても、被拘禁者が興奮しているときは右感情は希薄であり、冷静になれば保護房拘禁は解除されるのであるから、延拘禁日数が多くなっても直ちに不当であるとは言えない。

(5) 被控訴人は、入所以来徳島獄中細胞を自称し、現体制に反抗する手段として強固な信念に基づき意図的に規律違反を反復しているものであるから、被控訴人の反抗的態度が刑務所長の処罰等の措置に基づく独居拘禁によって高められたということはなく、また、被控訴人の思考や行動傾向が他人との交流を通じて変容することを期待しうるものでもない。

(6) 被控訴人がたまたま他の受刑者と接する機会があったときに紛争を起こすことがなかったとしても、これをもって直ちに被控訴人につき矯正的要素拡大の契機と見るのは早計である。

(7) 被控訴人に過去についての反省心があるとしても、それが規律違反の反復という形をとり、一般受刑者に対する獄内闘争の働きかけという形で現われる以上、矯正的要素拡大の契機とすることはできない。

被控訴人が自ら獄中細胞と称し、刑罰執行という公の利益を破壊する目的で刑務所の存在を否定し、職員を侮蔑した言動をなし、他の受刑者に反抗心を伝えることは、刑務所の規律秩序を阻害する。雑居拘禁でこのような内容の会話がなされると、被控訴人に反発する者との間で不測の事態が生じるか、あるいは逆に被控訴人に同調する者が被控訴人と同様に規律違反行為を惹起するなどし、いずれにしても刑務所の規律秩序を阻害する危険性が高く、被控訴人及び他の受刑者の矯正的要素と結びつくことはない。

(8) 被控訴人の独居拘禁が長期にわたったのは、被控訴人の言動に起因する保護房収容、軽屏禁罰の執行、規律違反行為の取調が連続した結果によるものである。このようにそれぞれ異なる目的のもとに必然的に独居拘禁となったものであり、これを一括して独居拘禁の継続とみなすのは相当でない。

(9) 徳島刑務所の収容受刑者は分類区分上B級、BL級に属する犯罪傾向の進んだ者で反社会的性格を有する者が多い。同刑務所はこのような受刑者を収容したうえ、少人数の配置職員をもって所内の規律と秩序を維持しているが、被控訴人の行うアジ演説や暴言は、更生復帰に努力している他の受刑者の心情を乱し、あるいは他の受刑者に職員に対する反抗心をあおり立て、いたずらに規律違反行為を惹起させるに至り、拘禁関係を破壊する危険がある。アジ演説の内容もさることながら故なく大声を発し続ける行為自体が刑務所内の規律秩序を乱し、他の受刑者がこれに呼応することで刑務所内を騒擾状態に陥れる危険性も高い。

(10) 徳島刑務所長は、被控訴人に対し、保護房拘禁中にも折りに触れてアジ演説の中止等を指導し、軽屏禁罰の執行に際しても規律違反行為の中止を指導するなどし、一般受刑者と同様の処遇が受けられるように説得したが、被控訴人はこれに従わなかったものである。

(11) 原判決のいう独居拘禁の一部解除が雑居拘禁による集団処遇に参加させることであるとすれば、それは規律違反の取調処分や軽屏禁罰の執行や保護房拘禁中でない状況下においてのみ可能であって、被控訴人の状況下ではその余地が全くなかったものであり、徳島刑務所長が独居拘禁の一部解除を実施できないと判断したことが違法ないし不当であるとは言えない。個々の独居拘禁の措置がやむを得ないとして是認される以上、全体としての措置が違法になるものではない。

もともと昼夜間独居拘禁の指定、継続、解除等は刑務所長の合理的裁量に委ねられているものであり、それが継続して長期にわたる場合でも、右裁量権の行使が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきである。

したがって、原判決が保護房拘禁と軽屏禁罰の執行の連続では被控訴人の規律違反行為の抑止につながらないとし、昭和五四年末日にはその繰り返しが避けられないとの予見が可能になったとして、徳島刑務所長が独居拘禁の一部解除等の措置を講じなかったのは違法であるとするのは、判断代置方式によるものであり許されない。

2  被控訴人の主張

(一)  被控訴人は徳島刑務所に移監された当時から雑居拘禁を要求していたが、刑務所側は何ら誠意のある対応をしなかった。そこで、被控訴人はアジ演説等の規律違反を止めるよう努力し、懲罰執行期間中一回も規律違反をしなかったこともあったが、看守の挑発や虚偽の報告により、形式的には規律違反が継続するという状態が続いたものである。もともとアジ演説は看守への反抗を促すことを目的としたものではない。

しかるに、徳島刑務所長は、被控訴人に対する予断と偏見から他の受刑者との隔離のみを目的として規律違反行為を捏造又は挑発し、被控訴人の独居拘禁を継続したものである。

したがって、本件独居拘禁の継続や戸外運動の禁止を正当化できるものではない。

(二)  拘禁の形態については法制上雑居拘禁が原則とされ、現実の行刑もそのように運用されており、刑務所長の裁量には「昼夜間独居拘禁が過度にわたることのないよう慎重な配慮が求められている」という制約があり、また、戸外運動の禁止についても法三八条、六〇条、規則一〇六条等の制約が付されている。

したがって、本件は刑務所長の裁量について法制上の制約が付されている場合であって、広範な裁量が認められている場合ではないが、仮に刑務所長に広範な裁量が認められる場合であるとしても、本件独居拘禁の継続や戸外運動の禁止は、裁量権の行使に基づく措置が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用した場合に該当する。

(三)  被控訴人が懲罰に価するか否かは別として、刑務所に反抗的態度を示してきたことは事実である。しかし、被控訴人の人間性や思想もさることながら、その最大の原因は、本件独居拘禁の継続によって生ずる心身への悪影響にある。

すなわち、人は本来社会的存在として他人と接触することが日常生活を営むうえで必要不可欠であるが、独居拘禁の下ではこれが不可能である。したがって、独居拘禁が長期化するに従い被拘禁者の不満が高ずることは当然で、例えば他人に思想を伝達できないという不満が高ずれば、アジ演説という非常手段に訴えざるを得ないであろうし、また、不満を訴える対象として刑務所職員しか存在しないとすれば、これに対する反抗という形で表面化するのも自然の成行きである。

このようにして、本件の場合は、独居拘禁の継続が被控訴人をして規律違反や保護房拘禁に該当する行為を助長させるに至ったものと考えざるを得ない。

したがって、徳島刑務所長としては、単に規律違反行為の継続という現象面にとらわれることなく、その真の原因が独居拘禁の継続にあるということを早期に見抜き雑居拘禁の試みをなすべきであった。行刑の専門家たることを強調する刑務所長であれば、このことは容易になし得たはずである。

しかるに、一度も右のような試みをなすことなく、漫然と独居拘禁を継続した徳島刑務所長の措置が違法であることは明らかである。

(四)  理想的な拘禁形態は、昼間雑居・夜間独居である。昼夜間独居拘禁は、刑務所が社会復帰に向けた人間関係形成のための鍛練の場であるという視点を欠くもので、現代の行刑理念にも反する。

(五)  控訴人の主張(二)(7)は、被控訴人の言動に反体制的なものが含まれていることを恐れ、これが刑務所の秩序そのものを破壊するとの妄想にとらわれ、受刑者にも保障された思想信条の自由や表現の自由を無視し、矯正という本来の目的を忘れ、秩序維持のみに偏したものである。

三  証拠関係〈省略〉

理由

一被控訴人の服役について

被控訴人が岡山地方裁判所において懲役一四年の刑に処せられ、昭和五二年一〇月一二日から岡山刑務所において刑の執行を受けていたところ、昭和五三年一月一八日徳島刑務所に移送され、同刑務所で引き続き服役中であることは、当事者間に争いがない。

二戸外運動の停止について

1  被控訴人が昭和五三年一月一九日から同年六月二二日までの間特房及び保護房に拘禁されたこと、その間の右各房の拘禁期間が請求原因第二の一1のとおりであることは当事者間に争いがなく、被控訴人が右各房に拘禁されたのは軽屏禁罰の執行として又は戒護のため保護房に拘禁すべき事由が生じたことによるものであるが、その経緯についての当裁判所の認定判断は、原判決理由説示(原判決一四枚目表七行目から同一七枚目表三行目まで)と同じ(ただし、同一四枚目表八行目の「同A」を「同A(原・当審)」に、同八・九行目の「原告本人尋問の結果(第一、第二回)」を「被控訴人本人尋問の結果(原審第一、二回・当審)」に、同一六枚目表二行目の「とるようにたった契機」を「とるようになった契機」にそれぞれ改め、同九行目の「するようになった」の次に「ことにある」を加える。)であるから、これを引用する。

2  ところで、規則一〇六条一項によると、刑務所長は作業の種類等によって必要がないと認められる場合を除き、在監者に対し雨天のほか毎日一回三〇分以内の戸外運動をさせなければならないものとされ、同条二項によると、独居拘禁者については右運動時間を一時間以内に伸長できるものとされているのであるが、徳島刑務所長において被控訴人の拘禁期間のうち昭和五三年一月一九日から同年六月二二日までの間一回も戸外運動をさせなかったことは当事者間に争いがなく、右戸外運動をさせなかったのが、作業の種類等によって必要がないと認められた場合でないことは弁論の全趣旨から明らかである。

そして当審における証人B、Cの各証言、被控訴人本人尋問の結果によると、徳島刑務所長は現在被控訴人に対し軽屏禁罰の執行中でも原則として一〇日に一回の戸外運動を実施していることが認められる。

3  当裁判所も、徳島刑務所長が控訴人に対し一般受刑者とは異なり戸外運動をさせなかった右措置は違法であると判断する。その理由は、次に付加・補正するほかは原判決理由説示中、戸外運動停止に関する部分(原判決一七枚目表五行目から同二〇枚目表九行目まで、及び同二一枚目表一〇行目から同二五枚目裏四行まで)と同じであるから、これを引用する。

(一)  原判決の補正

(1) 原判決一八枚目表四・五行目の「、入浴等の処遇」、同裏四行目「、入浴等」、同一九枚目表二行目の「、入浴等の処遇」、同六行目の「、入浴等」をそれぞれ削除し、同七行目の「これらの各処遇事項」を「右処遇」に改め、同一一行目の「、入浴等」を削除し、同二〇枚目表八行目の「原告主張のこの間の処遇」を「戸外運動の停止」に改める。

(2) 同二一枚目表一〇行目の「前記入浴の点にまして、」を削除し、同二二枚目表五行目の「総合勘案すると」を「総合勘案し、徳島刑務所長がその後に実施している運用の実体をも参酌すると」に、同二三枚目裏二行目の「抽象的なもので」を「一部であって」に、同八行目の「具体性のある」を「蓋然性の高い」にそれぞれ改める。

(3) 同二五枚目表六行目の「徳島刑務所長の措置は、」の次に「社会観念上著しく妥当を欠くもので」を加える。

(二)  戸外運動に関する控訴人の当審での主張・立証も右認定判断を左右しない。

すなわち、法三八条、規則一〇六条一項は在監者に一定の限度で戸外運動を保障しているものとみるべきであり、本件は刑務所内の規律及び秩序維持のため刑務所長に与えられた裁量権の範囲を逸脱し、又は、裁量権を濫用したものとして違法と判断すべきものであって、判断代置方式によるものではないし、また、被控訴人に戸外運動をさせると被控訴人が運動場で暴力行為に及んだり、他の受刑者の反発を誘発して暴力行為を受けたりするなどの具体的危険が実在したと認めるに足りる的確な証拠もない。

4  したがって、控訴人は被控訴人に対し国家賠償法一条に基づき戸外運動停止の措置によって被控訴人が被った損害を賠償すべき義務がある。

三独居拘禁の長期継続について

1  徳島刑務所長が被控訴人を昭和五三年一月一九日から昭和五九年九月末日まで保護房及び特房若しくは病舎1房において独居拘禁してきたことは当事者間に争いがない。

2  右独居拘禁の具体的実情についての当裁判所の認定判断は、次に補正するほかはこの点に関する原判決理由説示(原判決二七枚目表一一行目から同二九枚目表一一行目まで)と同じであるから、これを引用する。

(一)  原判決二七枚目裏五行目の「証人A」を「証人A(原・当審)」に改め、同行目の「同D」の次に「、当審証人B、同C」を加え、同五・六行目の「原告本人尋問の結果(第一・第二回)」を「被控訴人本人尋問の結果(原審第一、二回・当審)及び弁論の全趣旨」に改め、同八・九行目の「規律違反行為をやめず」の次に「(被控訴人が大声でしたアジ演説の内容には「看守どもの言いなりになってはいけない。」とか「やつらの指示どおり動いてはいけない。」とか「こっぱ看守の言うことを無視しましょう。」等の文言が含まれていた。)」を加える。

(二)  同二八枚目裏四行目の「一八九日」を「一八八日」に、同五行目の「四五日」を「四六日」に、同七行目の「一二一日」を「一二二日」に、同行目の「一八八日」を「一九八日」に、同八行目の「五六日」を「四五日」にそれぞれ改める。

(三)  同二九枚目表三行目の「一〇五九日」を「一〇六九日」に、同四行目の「二四三日」を「二三三日」に、同七行目の「その他の」から同一〇行目の「付したため、」までの部分を「その他の二三三日についても内一一日を戒護のための独居拘禁(規則四七条)に付したほか、残りの二二二日を規律違反行為取調のための独居拘禁(規則一五八条)に付したので、」にそれぞれ改める。

3  徳島刑務所長の措置の適否

(一)  当裁判所も、拘禁形態としては昼間雑居・夜間独居が望ましいものであり、昼夜間独居拘禁は必要最小限度にすべきものであると考える。その理由は、この点に関する原判決理由説示(原判決二九枚目裏三行目から同三〇枚目表一一行目まで)と同じ(ただし、同二九枚目裏八・九行目の「更新することを妨げず」とし」の次に「(昭和四一年法務省令第四七号による改正前の規則二七条一項では「独居拘禁ノ期間ハ二年ヲ超ユルコトヲ得ス但特ニ継続ノ必要アル場合ニ於テハ爾後六月毎ニ其期間ヲ更新スルコトヲ妨ケス」とされていたものが、右改正により期間が短縮されている。)」を加える。)であるから、これを引用する。

〈証拠〉によると、雑居拘禁にも在監者の不満や悩みがあることが認められるが、昼間雑居・夜間独居よりも昼夜間独居拘禁の方が望ましいとする趣旨であるとは解されない。また、〈証拠〉によっても前記判断を動かすに足りない。

(二)  したがって、在監者の拘禁形態の選択については刑務所長の合理的裁量に委ねられている面があるとしても、徳島刑務所長としては独居拘禁が過度に長期にわたることのないように慎重な配慮をすべきであり、その裁量的判断が著しく妥当性を欠く場合には、その措置は裁量権の範囲の逸脱ないしは裁量権の濫用として違法になると言うべきである。

(三)  ところで、法は昼夜間独居拘禁の加重形態である屏禁罰(同六〇条一項一一号、一二号)を定めており、規則は戒護のための独居拘禁(同四七条)や懲罰事犯取調中の独居拘禁(同一五八条)を定めており、これらの場合には拘禁の形態が独居拘禁になることは当然に予測されるところであるから、拘禁形態の選択についての刑務所長の裁量的判断の合理性が問題になることは通常あり得ない。しかし、独居拘禁が在監者に与える影響も無視することができないから、裁量権の範囲の逸脱ないし裁量権の濫用の問題が生じる余地が全くないとは言えず、極めて特異な事態が発生したときには、独居拘禁に付することが裁量権の範囲の逸脱ないしは裁量権の濫用として違法となる場合がないわけではない。

(四)  そこで、本件につきこれをみるに、前認定のとおり、被控訴人については二四四七日という長期間にわたり昼夜間独居拘禁が継続していたものであり、その約四七パーセントは保護房拘禁中であり、約四四パーセントは軽屏禁罰の執行中であり、その余は規律違反行為の取調中等によるものであった。

次に、拘禁場所についてみるに、保護房の構造・設備や居住性についての当裁判所の認定判断は、この点に関する原判決理由説示(原判決三二枚表三行目から同裏八行目まで)と同じ(ただし、同三二枚目表九・一〇行目の「横八五センチメートル、縦四七センチメートル」を「横八六センチメートル、縦四六センチメートル」に改め、同裏六行目の「埋め込まれているだけ」の次に「(給水栓が房内に設置されていないため、被収容者が給水止水を自由に操作できない。)」を加える。)であるから、これを引用し、保護房以外の被控訴人の拘禁場所である特房(主として特1房)及び病舎1房の構造・設備についての当裁判所の認定判断も、この点に関する原判決理由説示(原判決三三枚目表三行目から同裏二行目まで)と同じ(ただし、同表六行目の「前述のように給水栓を房外に設置したり、」を「給水栓を房外に設置したり(ただし、昭和五四年一二月ころ房内にも設置した。)、」に改める。)であるから、これを引用する。

右によると、保護房は狭隘のうえ採光、換気が不十分で閉鎖性、密閉性が高く、居住性も劣悪であるから、これに長期間収容されることは閉塞感、被抑圧感、隔絶感、疎外感が大きくなり、被収容者の心身に及ぼす影響も軽視できないものがある(もともと保護房は長期使用が予定されているものではない。)と言うべきであり、特房や病舎1房は右保護房ほどではないにしても、右保護房での拘禁を含めた独居拘禁が長期間にわたり反復継続されてきたことについては問題がないわけではない。

しかし、徳島刑務所長が右措置を講じたのは被控訴人が規律違反行為を執拗に反復したことによるものであることは前認定のとおりであって、いわば被控訴人が原因を作ってきたものである。〈証拠〉中には、被控訴人が規律違反行為に及んだのは刑務所の職員の挑発によるものであるとか、被控訴人には規律違反行為がないのに虚偽の報告がされたものである旨の供述部分があるが、右はいずれも〈証拠〉に照らし措信できない。また、長期独居拘禁が被控訴人の規律違反行為を誘発していると認めるに足りる的確な証拠もない(かえって当審における被控訴人本人尋問の結果によると、被控訴人は保護房拘禁が終りに近づくと規律違反行為をしないように自制することができる状態になっていることが認められる。)。

したがって、右のままの状態で独居拘禁を解消することは被控訴人の規律違反行為を不問に付する結果にもなりかねない(戸外運動の実施が懲罰としての独居拘禁を継続することと両立し得るのとは異なる。)だけでなく、規律違反行為の一つであるアジ演説には看守を侮辱したり、看守に対する反抗を扇動したりするものを含んでいて、刑務所内の規律違反を助長する面があることも否定できず、徳島刑務所長としてこれを軽視できないとしたことにも無理からぬところがある。在監者といえども基本的人権としての表現の自由が保障されるべきことは言うまでもないが、右基本的人権にも内在的な制約があり、刑務所内における規律違反行為が許容されないことは当然である。

もっとも、受刑者処遇の目的が受刑者の改善と社会的復帰にもあることは言うまでもないから、その意味で徳島刑務所長としては被控訴人が規律違反行為を反復することについてもその改善の途がないかどうかを検討すべく、被控訴人の矯正的要素に注目することも肝要であり、また、長期独居拘禁はできるだけこれを回避すべきであること等の観点に立って本件をみると、被控訴人の規律違反行為に原因があるとの一事によって被控訴人の長期独居拘禁を継続した徳島刑務所長の措置に何ら問題がないわけではない。しかし、前認定のとおりの本件事案において徳島刑務所長が被控訴人の独居拘禁を解除する措置を講じなかったことが社会観念上著しく妥当性を欠き、刑務所長としての裁量権の範囲の逸脱ないしは裁量権の濫用があったとまでは認め難い。

そして、右許容限度を超えたとは言えない限り、憲法三六条にいう「残虐な刑罰」の執行にも該当しないとしなければならない。

したがって、独居拘禁の継続について当不当の問題が生じる余地はあるにしても、違憲違法であるとまでは断じ得ない。

4  そうすると、被控訴人の独居拘禁の長期継続が違法であるとして控訴人に対し国家賠償法に基づく責任を問うことはできないことに帰する。

四以上によると、控訴人は被控訴人に対し戸外運動の長期にわたる停止の措置によって被控訴人が被った損害を賠償すべき義務があり、前認定の事実その他諸般の事情を考慮すると、被控訴人に生じた精神的肉体的苦痛に対する慰藉料としては一〇万円が相当である。そうすると、控訴人は被控訴人に対し右一〇万円及びこれに対する右違法行為の後で本訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五三年七月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、被控訴人の本訴請求は右限度で正当として認容し、その余は失当として棄却すべきである。

五よって、右判断と一部異なる原判決はその限度で不当であるから、原判決を右のとおり変更すべきところ、原判決認容の遅延損害金の起算日昭和五九年一〇月一日を右のとおり昭和五三年七月二日とすることは被控訴人に利益であるが、同人の控訴も附帯控訴もない本件において右変更は許されず、結局右起算日については原判決のとおりとするほかはないので、右起算日を原判決のとおりとして変更し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官高田政彦 裁判官松原直幹 裁判官孕石孟則)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例